当時、アラビア半島から北アフリカを席巻したイスラム教徒は、地中海の海上交易を支配しただけでなく、更に、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に侵入し、西ゴート王国を滅ぼし、地中海世界の一大勢力として君臨していた。
粗野なゲルマンに壊されることもなく、キリスト教のたがにもはめられない古代ローマの文化・文明を様々な形で踏襲したのはこのイスラム勢力で、後の十字軍の戦いで、欧州諸国は、その文化・文明に強い影響を受け
ピレネー山脈を越え、アキテーヌにまで侵入して来たイスラム勢力に、正面から立ち向かったのが、宮宰シャルル・マルテル(688−741)である。
フランク貴族を糾合してトゥール・ポワティエの戦い(732)で、イスラム教徒を敗走させ、一挙に威信を高めた。
更にマルテルの子のピピンは、イタリアに遠征してローマ教皇をランゴバルド王国の圧力からも救った。
そして、751年、すっかり実力を失っていたメロヴィング朝を廃してカロリング朝を開き、ピピン3世(在位751〜768)として即位した。