ゲルマン民族の大移動

広大な領域を抱えるローマ帝国の最大の悩みは、外敵の侵入で、4世紀の末になると、その激しさが増す。395年コンスタンチノーブル(今のイスタンブール)に首都を移したのも、その対抗策であった。その結果、東ローマと西ローマとに帝国は二分され、権力中枢の移動した西ローマは完全にゲルマン人の侵入に対しての防衛能力を失ってしまった。

ゲルマン人は、ケルト人と同じインド・ヨーロッパ語族に属し、北のスカンジナビア半島からバルト海周辺に住んでいた。気候の寒冷化が起きた紀元前5世紀頃、最初に、中部ヨーロッパに南下して来て、ケルト人をガリアに移動させたのだが、紀元後の3世紀の時は、自分たちがローマ帝国領内に徐々に侵入を始めた。

4世紀後半になると、今度は、それまで中央アジアの草原にいた遊牧民のフン族がウクライナに侵入して来た。それに押されたゲルマン人の東ゴート族が西へ移動した。
これがきっかけで、ゲルマンの諸部族が次々と東から西に大規模な移動を始めた。これが「民族の大移動」と言うものである。

ゲルマン人の移動には、掠奪や殺戟が行われたが、ローマに対して、農耕や軍役を担う条件で、帝国内に平和的に入植するケースも少なくなかった。それは、帝政末期の、ガリアのローマ軍兵士の多くがゲルマン人で占められ、隊長や将軍に任命される者まで出てくることで、証明される。
5世紀になると、部族の長を王にいただくゲルマン人国家が、その組織のまま移住して

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