シュノンソー城
−カトリーヌ・ド・メディシスとデュパン夫人
フランソワ1世(在位1494〜1547)は、スペインのカール5世と激しく敵対していた。戦いの舞台はイタリアであったが、北方のフランドル地方の脅威もあり、 ローマ法王との関係強化の必要を感じ、時の法王クレメンテ7世がフィレンツェを支配したメディチ家出身であったところから、次男アンリの妃としてメディチ家から、カトリーヌ・ド・メディシスを迎えた。カトリーヌは、「偉大なる者」と称されたロレンツォの曽孫に当る。
カール5世のハプスブルク家は、ヨーロッパ最大の金融業者フッガー家に支えられていたから、もう一つの金融業者メディチ家との財政的関係強化の狙いもあったと思われる。

長男が若くして死んだので、フランソワ1世死後、弟のアンリが王位を継いだ。カトリーヌは王妃の座に着くことになったのである。
カトリーヌは、夫のアンリ2世が早死にするので、その後の王位を継ぐ、フランソワ2世、シャルル9世、アンリ3世の母后として、権力を振るうのであるが、彼女の後半生は、フランス革命に次ぐ大内乱「宗教戦争」を迎え、多難な舵とりをすることになるのである。
カトリーヌは、イタリアから、料理人、香水造り、占星術師まで連れて来た。メディチ家の料理人によって、フランス料理の基礎がつくられたとも言われている。氷菓子(シャーベット)を作る技術や食品を冷蔵する技術、ワインを冷やして飲むことなどがもたらされた。テーブル・マナーや乾杯の儀礼もカトリーヌがもたらしたものと言われている。
ロワールの城館やその庭を舞台として、大掛かりな祝宴、機会仕掛けの装置や花火を使ったスペクタルをもまたフランス宮廷にもたらした。
城館の堀の中から人魚の姿をした乙女たちが出現したかと
