旧港の「ベルギー人の埠頭」と呼ばれ、市場が開かれる埠頭の中央に、一枚の青銅板が埋め込まれている。 「紀元前600年、ギリシァの船乗りたちが小アジアのフォカイアからやって来てマルセイユを建設。 西欧文化は、ここを発祥の地とする・・・・」と。

フォカイアといえば、エーゲ海のキオス島の東、現在のトルコのイズミールあたりに、ギ リシャ人が建てた植民地である。ペルシアの攻勢にあったフォカイアの人たちがその都市 を捨ててそっくりこの地に避難して来たのである。
ギリシャ人はペルシアに対し数の上で 圧倒的に劣勢だったから、土着の勢力と共存共栄を計ることが望ましかった。 マルセイユ周辺は、ケルト(リグリァ)人が支配していたので、ギリシャ人は船団が仮泊していた湾周辺の土地を話し合いで獲得した。

それは、リグリァ人にとっても、原始的な段階にあり部族ごとに対立抗争していたから、ギリシャ人から入手できる優秀な武器をはじめとして交易の利益も大きかったからに違いない。 植民してきたギリシャ人たちは、進んだ金属器や陶器などを作る技術を伝え、オリーブやブドウなどの果樹栽培を普及させた。
こうして生まれた植民都市はマッサリアと名付けられ、ギリシァの小都市として繁栄する。後に それがマルセイユと呼ばれるようになる。

商才にたけていたギリシァ人は、地中海の沿岸に次々と商館を設けて熱心に交易を続けた。 マッサリアの最盛期には、東はモナコとニース、西はスペインのマラガまでが、その取引圏に入っていた。
また、マッサリアは地中海文化圏をローヌ川沿いに北へ拡げる拠点だったと言うことが出来る。

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