ローマ時代のワイン交易路と葡萄栽培地
古代において、ワインを輸送するのにはアンフオーラ(素焼きの壷)が用いられていた。(樽の使用が一般化するのは紀元後2世紀) このアンフオーラの出土する破片によって、ガリアのワイン交易ルートが分かっている。

ひとつはナルーズ峠を経て船でガロンヌ河を下りボルドーに到達するルートで、そのボルドーは海上路によってイギリス及び北方の国と繋がっていた。
もうひとつのルートはローヌ河、ソーヌ河、モーゼル河、ライン河を経て直接北海に出るものだった。

ローマがガリアのナルポンヌ地方を属州とした頃(紀元前120年頃)には、葡萄栽培は、地中海沿岸に広がったものの当時の品種が

寒冷な気候に耐えられるものではなかったから、地中海性気候の影響を受けない地域の外にまで広がっていくことはなかった。

ワインを求める北方の市場へ輸送費を節約しようと、古代のぶどう栽培者たちはワインの運ばれる主要な輸送経路に沿って、出来る限り栽培地を北へと伸ばしていったが、その北限は、ローヌ河沿いのコート・ロティやエルミタージユとタルン川の航行可能な地点にあるガイヤックのぶどう畑で、時期は紀元前後であった。

しかし、「ローマの平和(紀元前1世紀末〜200年間)」確立後、農業技術が進歩すると、寒さや湿気に強い新しい品種が作り出され、ぶどう栽培の北限は数百キロ北へ押し

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