シャブリとイル・ド・フランスのワイン
シャブリは、セーヌ支流のヨンヌ川上流のスラン川流域にある。セーヌ河流域の北フランス一帯のイル・ド・フランスでも、中世からブドウ栽培が盛んで、「フランスのワイン」と言われ、パリのお旺盛な胃袋を賄っていただけでなく、河口のルーアン港から、イギリスや北方の国々に輸出されていた。
(ブルゴーニュのコート・ドールは輸送上の障害のため、イギリスでその真価を知られるようになるのは、16世紀以降)
しかし、19世紀の後半に襲ったフィロキセラ禍のために壊滅状態に陥った。
植え直すには多大な投資を必要とするところへ、鉄道の開通で、南仏の安酒が大量にパリに流れ込むようになって、
多くの人たちはブドウ栽培を見限って他の果樹や農作物に転向してしまった。
そして、セーヌ流域で生き残ったワインは、シャブリと発泡ワインという独自の道を歩んでいたシャンパンだけとなった。
今日、ブルゴーニュのワイン地図を見ると、シヤブリだけが北にぽつんと孤島状に残っているのは、そうした歴史的、社会的事情からである。
シャブリは、フランスでも北部にあり、冬の気候は厳しい。ことに、ブドウ栽培にとって恐ろしいのは晩霜である。春も4月を過ぎてブドウが芽を出し始めた頃、しばしば、霜が襲い、その年の収穫が打撃を受けるだけでなく、樹まで枯死してしまうときがある。
今日のシャブリの人たちは、昔のようにただ指をくわえて嘆いたり、神様の助けを乞い願うだけではない。
畑の樹間に、小型のストーブを持ち込んでひと晩じゅう燃やし続ける。晩霜の襲いそうな夜、シャブリの畑を訪れると、畝の間に並べられたストーブが提灯行列のように赤い炎をあげている。異様な眺めである。
シャブリにおげるブドウ栽培の創始者もシトー派修道院であるが、シャブリのブドウ栽培地にシャルドネ種が移植されたのは、フィロキセラ危機以後の再建の時期からのようである。 シャブリ地区は100%近い白ワインの産地であるが、フィロキセラ危機以前の昔は、 シャブリの赤ワインも決して珍しいものではなかったようである。
