ロスチャイルド家と葡萄園

ロスチャイルド家の創設者は、マイヤー・A・ロスチャイルド (Meyer Amschel Rothschild:1744〜1812)。 ドイツのフランクフルトに生まれ、ユダヤ教の聖職者ラビになるための勉強をするが、親の死後、銀行に徒弟に出される。やがてユダヤ人地区に銀行を設立。裕福な伯爵ヘッセン・カッセル家のウィルヘルム9世の金融顧問になり、急速に富を築く。
その後、5人の子供が、ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア、イギリスの政商として、欧州の金融界を動かし巨万の富を築き、国際的な金融財閥となる。

ロンドン・ロスチャイルド家
創設者マイヤーの三男、ネーサン・マイヤー・ロスチャイルド(1777〜1836)は、1805年、ロンドンにイギリス支店を開設。
イギリス政府がナポレオン戦争の際、同盟国に移した助成金を管理し、融資する主要な役割を果す。
彼の「ナポレオン失墜をめぐる大ギャンブル投機」は悪名高い。その投機とはこう言うこと。彼は、ロスチャイルド家の持つ情報網で、ナポレオンのワーテルローの敗戦をいち早くキャッチ。が、下落しかかっていたイギリスのコンコル公債を投売りした。彼の売りで、「ワーテルローでのイギリスの負けをネイサンは知っている」と言う噂が飛び、公債は大暴落。ぎりぎりの底値まで落ち込んだころを見計らい、今度は公債を二束三文で大量買い。その後、勝利の知らせが伝わり、公債は一転して大暴騰。数百万ボンドの大儲けをする。

シャトー・ムートン

ネーサンの長男であるライオネル・ネーサン(1808〜79)は、1875年、イギリス政府のスエズ運河の利権獲得に際し融資をおこなう。イギリス議会の最初のユダヤ人メンバーにもなる。
ライオネルの息子は、男爵位につき、大英帝国でユダヤ人としてはじめての貴族になり、下院議員にもなった。

ネーサンのもう一人の息子ナサニエルが、1853年、シャトー・ムートンを112万フランで取得したのである。
1855年の格付けで2級の憂き目をかこつ理由は、変人・冷酷と評される父ネーサンの家系と国籍に対する反目にあったとも言われている。

このナサニエルの孫息子が、バロン・フィリップで、シャトー元詰め義務の提唱者であり、1973年1級格付けに昇格させ、ムートンを押しも押されもしない最高級ワインに押し上げた立役者。著名画家の画をラベルに起用したのも彼である。
現在は一人娘のフィリピーヌが立派に後を受け継いでいる。

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