ボルドーは、フランス革命の頃にはフランスでもパリに次ぐ、近代的な都市になっていた。その象徴である大劇場は今でも街の中心で繁栄の名残りを語っている。
フランス革命時は、ジロンド党の基地でもあったボルドーも革命の嵐に巻き込まれ、著名なシャトーは国から没収と言う受難にあい、ギロチン台に送られた貴族もいた。
しかし、封建的な帯剣貴族とちがって、近代精神の洗礼を受け、商売、特に海外との貿易でもまれ、したたかな根性を持っていた法服貴族(モンテスキューのような)や新興ブルジョワ商人たちが多かったから、ぶどう園をブルゴーニュのように分散させないで、いろいろな手口で守りぬいた。
そして、産業革命によって増大する英国を中心とする北方諸国の従来のマーケットに加え、1853年には、パリーボルドー間の鉄道が開通し、パリっ子たちの熱い目がボルドーに注がれ、フランス国内の新たなマーケットが登場し、ボルドーのワインは黄金時代を迎えるのである。
メドックでは広壮な大邸宅が建ち始める。(パルメ、ピション・ラランドとロングヴィル等々)また、各ぶどう園主は建物だけでなく、ワインの品質向上にも努めた。
何代にも渡るぶどう栽培とワイン醸造法についての経験や教訓で、その技術水準はかなりのものになっていた。