中世のボルドーの興隆


ボルドーは、ガロ・ローマ時代から葡萄を栽培していてワインの評価も高かった。ボルドーには広大なブドウ畑があったと思われるが、事実はそうではない。 メドックには殆ど葡萄の木は無く、あったのは南のグラーヴが中心で、プルミエール・コート、アントル・ドウ・メールやブライにも葡萄畑はあったが、それほど広いものではなかった。

ボルドーから英国や北欧に積み出されたワインは、アキテーヌ盆地全体のものであった。タルン川上流のガイヤック、モワサック、アジヤンから、又、ボルドーに近いサン・マケール、ランゴン、バルサックからガロンヌ川を下ってくるか、あるいはベルジユラツクやサンテミリヨンからドルドーニュ川を下って運ばれて来た。 こうした地域のワインは、一般に「上流地ワイン」と呼ばれていたものである。

ボルドーは「商業中心地」としての始まり、北欧交易の港町として発展してきた町である。エレオノール妃の再婚がきっかけで、英国領になったのだが、英国との結び付きが「ワイン貿易」通じて急速に深まり、大きく発展、興隆する。
ことに失地王ジョン王の時世に、ボルドーは常に親英派としての様々な政治工作を通じて、市長の選出権をはじめとして、関税免除や貿易上の特権を手に入れ、いわゆる「自由都市」として発展して行く。(歴史「都市」参照)

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