修道院の財政基盤と葡萄栽培


6世紀後半には、ストラスブール司教区がアルザスのキリスト教布教センターの役割を果たし、6〜8世紀には、次々と教区と修道院が建てられた。

修道院は、信仰面だけでなく、知的センターの役割も担っていたこともあって、領主から葡萄園をはじめ田畑・森の寄進を受け富裕化して行く。大土地所有者となった修道院は、多数の農奴的小作人を抱えながら、葡萄園の開発と経営に乗り出し、今日の葡萄園の基礎を築くことになる。(800年頃からの100年間で、アルザスのブドウ栽培村は、120から170までに増えたと言われ、その殆どが修道院の管轄下にあった)

何故、修道院は葡萄園経営に関心を抱いたか?

キリスト教の祭祀や領主への饗応・巡礼者への世話などにワインが必要とされていたこともあるが、良質のワインは高い商品価値を持ち、その対価は何よりも確かな修道院の財政基盤の基だったことも重要な要素。
ちなみに、修道院の記録を見ると、ワインがもたらす莫大な富の姿が読み取れる。
中世末の記録だが、アンロー女子大修道院の1505年の自家消費のワインは、384ヘクトリットル(ボトル換算で、51,200本)。

アンロー女子修道院

当時この修道院に起居する尼僧数は2〜30人で、この数字には、慈善や高位の来訪者の饗応はもとより、修道院で働く者(執事・代訴人[修道院の権利保護・裁判事務を担う]・収税人〔小作料等〕・職人〔大工、画師、彫師、家具師〕・森番等)への報酬が含まれている。
豊作の1520年のワインの総生産量は、1668ヘクトリットル(現在のボトル換算で、222,400本)で、自家消費を除いたものは総て商人を通して売り払っている。つまり、222,400本の約4分の3のワインが換金され修道院の財政を潤している。

何故、修道院は良質のワインを産み出し得たか?

中世初期の情報ネットワークは、ローマ・カソリック教会の持つネットワークが、唯一の確かなものであった。このネットワークから、最上級のブドウ株の導入・移植・品種改良の情報がもたらされた。その情報を基に、その土地にあった品種改良と栽培技術の切磋琢磨を行ない得る肉体的労役をも厭わない教義と高い知的レベルが修道院にはあったからである。